塩谷宣弘の経歴

お時間が許せばご一読ください

昭和56年11月19日(32歳)

大阪府 淀川区で生まれる。
塚本幼稚園・塚本小学校を経て、小学2年のころに大阪府豊能郡に引越し、東ときわ台小学校・吉川中学校卒業。
雄大な自然に囲まれブラックバス釣りに明け暮れる。

※大阪府豊能郡とは? 
[大阪が雨でも、トンネルを抜ければ・・・雪が降っています・野生のシカもよく歩いています。大阪府?と疑問を持たれることも多いですが、雄大な自然が最高!!]

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資格等

□ 日商簿記検定2級・3級(独学で取得)

□ 税理士(資格の大原)

□ ドリームゲート 起業アドバイザー

□ 経済産業省認可 経営革新等認定支援機関

□ 自動二輪大型免許(亀岡ドライビングスクールで取得)

高校時代の塩谷

大阪府の私立大阪高校の普通科(阪急京都線・相川駅)に入学。小学校2年から習っていたこともあり水泳部に入部(仮入部のつもりが、リーゼント先輩に凄まれ、いつの間にか入部届を書いていた・・・・というのが入部動機)。

当時は男子校+スポーツ強豪校であったことから、部活動の厳しさを知る(特に、先輩が帰るまで帰れない+炭酸禁止+パシリの常態化はなかなかつらい・・・)。

厳しい練習のおかげで自由形(クロール)の記録が大阪府50傑に入る。また、同クラブでは高校2年の段階で副部長に指名されるも、
初彼女にうつつを抜かした結果、高校3年も副部長となってしまう。

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高校3年の秋、進学を考えたとき最低でもいわゆる「産近甲龍」のいずれかに行かねばと思い立ち、勉強を開始。兄に受験勉強の極意「赤本+頻出英熟語+単語」をマスターせよとの言葉をひたすら信じ、高校をさぼり、専門学校にこもる。毎日12時間以上勉強に明け暮れる。

「平日に一人でご飯を食べるのは寂しかったなぁ、赤本にも八つ当たりしたなぁ・・・」

短期集中の約2ヶ月の勉強の末、E判定だったが近畿大学(近鉄大阪線・長瀬駅)商経学部経営学科に奇跡的に合格。
結局、高校の特進クラスを含めこの高校からの合格者が自分だけとなり「やったった感」にひたる(当時は高校のレベルが低かったため、近大でもかなりいい方だった)

大学時代の塩谷

daigaku_toudai 大学には受かったものの、大学が自宅からドアツードアで2時間超とあまりにも遠い影響もあり、学校にいくのが億劫になりアルバイトに目覚め・そして明け暮れる。

バイト先のジャスコ(現イオン)で、男としては異例のサービスカウンターでプレゼント包装や店内放送に従事。ところが、他の部署での突然の退職により、激務である家電売場に突然異動が命じられ、家電商品の接客・販売を行う。

お客さんとケンカをしたこともあったけど、なんやかんや生きがいを感じ、大学生であることを忘れてバイト三昧(結果・・留年)。

留年の結果、2回目の3回生を過ごしているとき、友達の「就職はしない、司法書士を目指す」という言葉に触発され、税理士試験に本格参戦する。最終的に授業・専門学校に忙しくした結果、無事卒業。

税理士を目指すきっかけ

父が税理士であることもあり漠然と税理士を目指すという考えもあり、1回生のとき、簿記2級・3級を独学で取得。昔から算数・数学等数字に抵抗はなかったみたい。

また、漠然と中小企業の経営再生のような仕事がしたいと考えており、このような仕事を実現するには、より会社に近い税理士という職業を目指す。

これが壮絶な試験勉強の始まりになるとは知らずに・・・

塩谷会計事務所勤務+受験勉強時代の塩谷

大学卒業後、父の事務所で修行+受験勉強を始める。

仕事自体は夕方の5時終了の為、7時には家に帰宅できたため、そこから毎日最大8時間の勉強の日々(寝る頃には、新聞配達を見かける日々・・)。

正直つらかった。何より怖かったのは勉強していたはずが、気づけば朝、ちゃんと布団で寝ている自分、寝た記憶がない・・・。

また、寝不足から金縛りに悩まされ、金縛りの呪縛を取る方法を編み出す。

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日々の業務では、学校で習う税務知識と実務上の運用の差に悩む。経営という点からいえば税務の云々は思っているほど重要視されていないのか?などなど、現実と理想の間にいたことから悩み多い日々を過ごす(この時、本当の意味で経営者の立場に立っていなかったと思い返してみる)。

また、悩み多い時期に悪いことが重なるもので、税理士試験も全科目合格を確信した年で、まさかの全科目落ちる・・・・(試験勉強なんてやめてやろうか!!とヤケになる)。また、比較対象になる社員もいないため「井の中の蛙」と化す。

転職+まだまだ受験中の塩谷

兄から「一回外でてみたら?」という助言を受け、転職活動を始める。転職先を探していく過程で「世界4大会計事務所」という存在を知り、自身に満ちていた私はミーハーにも転職なら東京と考え、面接を申し込む。

面接で「死ぬほど働かせて下さい」という熱意?が通じ、奇跡的に転職が決定する(今考えると、本当に幸運だった、正直自分の学歴では無理・・・)。

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晴れて東京事務所のM&Aタックスに就職を果たし、あまりにも有能な先輩方と共に仕事をそれほど死ぬほどさせてもらう。

うすうす自分の実力不足に気づきつつも「井の中の蛙」から抜け出せず、自信とプライドを失い、しょうむない自分に成り下がってしまう。

会社に入って思ったこと、それは「天才は本当にいる」「自分はまだまだアマちゃん過ぎる」(東京事務所の2年間では、先輩方に本当に迷惑をおかけしました・・・)。

ただ、東京でも悪いことばかりではなく、標準語の彼女もできたし、税理士試験にも合格した。

税理士試験の合格がわかったときは、うれしさのあまり震えが止まらなかったのが印象的だった。

そんな、2年間の東京生活ののち、大阪に帰る必要が出てきたことに伴って大阪事務所へ転属(この時、東京事務所の上司に話を通してもらい、本当に感謝)。

大阪では、東京での失敗を踏まえ「実直に、地道に基礎からやる」と心に決め仕事に取り組んだ結果、少しずつ評価いただけるようになった。また、とても大切にしてくれる先輩方に飲みにつれて行ってもらうなど、本当に感謝の日々でした。

サラリーマンって素晴らしい!と本気で思う。ただ、仕事は東京と変わらず厳しかったなぁ・・・。

副次的効果で10K以上太る。

独立に至る経緯・想い

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日々充実した仕事をこなしていたが、30歳を目前としたとき自分が本当にしたかったのは何か?と自問自答。

出た答えは「やはり中小企業の経営者の役に立つ・現場にいることが出来る税理士になりたい」という想いから独立を決意する。

独立するに際して、税理士として「何をするのか」「何が求められている」かを2か月かけて絞り出した答えは「あなたのVisionともに育てます」という一文に凝縮されました。

税理士は、税務のプロフェッショナル。

ただ、プロフェッショナルとは顧客の想いを共感し、協働できる存在。つまり、税理士である前にプロフェッショナルであるべき。

プロフェッショナルであるためには経営者の想いを共感し、実現に向けて経営者の方と協働できる。至極当たり前の事ですが、一番重要であるべき点。

私は、皆様のVision発展のため、経営者インタビューを通じてあなたのVisionを共有します。

※経営者インタビューとは:経営者の皆さんの生い立ちや経営者になるまでの経緯を知り、これから目指す会社のVisionを注意深く知るための、私の一番重要なサービスです。

私が目指すもの

税理士として関与先にかかわり、いつか社長や社員の皆様と「飲み会を開く」こと。塩谷さんで良かった。経営者になってよかったと感じていただきたい。そんな税理士を目指します。そのため、経営者との共感・協働を何よりも大切に大切にしたいと考えております。

その他もろもろ

●趣味:
水泳、バイク(1300CCに乗ってます)、ゴルフ(まだまだ修行中)、スキー(モーグルを目指しています)。

●好きな場所
福井県の城山公園:海がきれいで癒される。

●好きな言葉
世の中できないことはない

●影響を受けた本
「選ばれるプロフェッショナル」「7つの習慣」「issueから始めよ」


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